死について~(7日目)「死」は善か?悪か?~
死について~はじまり~ - tagumaru’s blogの最終エントリー。なんだかんだで初稿から1か月程経過してしまいました。
(7日目)「死」は善か?悪か?
ここでは「自分の死」をテーマに書いている(つもり)なんですけど、冷静に考えると「誰にとっての善か悪か」で答えが変わるような。
家族や友人、恋人といった身近な人なのか、会社の同僚くらいの距離感の人なのか、はたまた自分なのか。
でも、相手がどう自分の死を受け取るかは相手次第なので、ここでは「自分にとって」という方向で考えてみました。
結論から言うと「善でありたい」。
生きている自分にとっての死は悪に近いかもしれないけど、絶対に不可避な現象に対して「悪だ!」と思っちゃうのはすごく勿体ないので、善と悪この2つを「自分の死に触れた相手がどう感じたら自分にとって善になるか、悪となるか」ってな具合で考えてみました。
結果。
- 善:自分の人生観に何かの学びや気付きを得てくれること
- 悪:「悲しいね」とか「寂しいね」で終わってしまうこと
善に振れる人が多くなるような人生を歩みたいな、というお話でした。
死について~(6日目)何をもって「死」を定義するか~
死について~はじまり~ - tagumaru’s blogの6つ目のエントリー。 1週間連続でやっていない辺り、効果は如何ほどのものか分からないけど、やり切ることに意味があるということで。
(6日目)何をもって「死」を定義するか
これも諸説ありますよね。脳死だったり、植物人間だったり、心肺停止だったり。
でも、僕の中での答えは「人に忘れられたとき」じゃないかなーと思います。
(ONE PIECEとかでそんなシーンありましたね。笑)
あ、「そう思いたい」って表現の方が適切かも。
般若心経に出てくる「色即是空 空即是色」という言葉が僕的には好きで、要は「形あるものは全て仮の姿で実態は空(何もない)」ってのが直訳ですが、もうちょっと噛み砕いて僕なりに解釈すると「理解できる範囲はそれぞれ違う」ってことだと思ってます。
どこの記事か忘れましたが、分かりやすい具体例があって、車を認識するのは普通の人なら簡単ですが、車の部品(エンジンだったりシャーシだったり)を 見てもそれが車だと理解できるのは整備士さんとか限られた人だけですよね。
直訳だとちょっと味気ないというか寂しい気もしますが、「人として人を認識できる」ってのは記憶が最終形態じゃないかなぁ、と。
そんな訳で、「人に忘れられたとき」ってのが今の僕なりの回答です。
死について~(5日目)死んだ後はどうなると思うか~
死について~はじまり~ - tagumaru’s blog のエントリー5日目。 ちょっと間空いちゃったけど。。。
死んだ後はどうなると思うか
・・・分からん(´・ω・`)
頭の中でパッと浮かんだのは、
- 無
- 閻魔様が居て、この世の罪を裁かれる
- 輪廻転生的な(次に生まれ変わるのが何か決まって、この世に生まれてくる。どうやって決まるのかは謎。)
- 賽の河原で意思を積む(親不孝の場合)
- 楽園
とかとか。小さい頃に見聞きした世界だけど、度外視して望むとすれば、先にお別れしてしまった人たちに逢いたいですね。 「久しぶり!あの世ではお世話になりました。」みたいに改めて感謝を伝えられたらいいな。
死について~(4日目)身近な人が死んだらどんな気持ちになるか~
(4日目)身近な人が死んだらどんな気持ちになるか
死について~はじまり~ - tagumaru’s blog の4つ目のエントリー。
身近な人が誰かによって抱く感情は変わるよね。今までの経験で言うと、順番があって、
- 虚無
- 悲しい
- 感謝
- 懐かしさ
って流れ。
1. 虚無
最初の2~3日。現実だと認識できていない状態。
2. 悲しい
1週間目くらい。告別式とかひと段落して、やっと現実味を帯びてくる。
3. 感謝
49日の辺り。色々とその人との思い出を振り返ったり、「あの人にとって人生なんだったんだろうなぁ。」とか考えたり、その過程でなんか見えてきて、考えるきっかけをくれて、ありがとうございますってタイミング。
4. 懐かしさ
そんな頻繁に思い出したりはしないけど、お墓参りやふとしたタイミングで思い出す感じ。
総論
こうやって文字に起こすとちょっと冷たい感じもするけど。お別れは、その人と本当の意味での心の出会いなのかも、と思った(くさい)。
死について~(3日目)どんな葬式だったら嬉しいか~
死について~はじまり~ - tagumaru’s blog のエントリー3日目。
(3日目)どんな葬式だったら嬉しいか
葬式に嬉しいとかって感情は真逆だな(自分でお題考えたくせに)。けど、強いて言うならありきたりだけど「自分が友達だと思ってたり、大切に思ってた人達が来てくれる」ってのが、一番嬉しいと思う。場所はその時、自分が生活の基盤としているところで、派手じゃない方が良いすね。それから、ふと思ったけど、法要で集まってくれた人達がどんな話しているのか聞けたら良いのにな(笑)。ちょっと気になります。
死について~(2日目)1年後に死ぬなら何をしたいか~
死について~はじまり~ - tagumaru’s blog の2日目のお題。
(2日目)1年後に死ぬなら何をしたいか
「1年」って今(28歳)時点では結構長いなぁって思う。ひと月ずつ分解して考えてみよう。
- 一か月目:(´・ω・`)
- 二か月目:・(´・ω・`)
- 三か月目:・・(´・ω・`)
- 四か月目:・・・(´・ω・`)
- 五か月目:・・・・(´・ω・`)
- 六か月目:・・・・・(´・ω・`)
- 七か月目:・・・・・・(´・ω・`)
- 八か月目:・・・・・・・(´・ω・`)
- 九か月目:・・・・・・・・(´・ω・`)
- 十か月目:・・・・・・・・・(´・ω・`)
- 十一か月目:・・・・・・・・・・(´・ω・`)
- 十二か月目:・・・・・・・・・・・(´・ω・`)
何も思い付かなかったワケじゃない!!!!!
お世話になった人たちに自分が死んだ後で届く手紙を書くとか、会えていない人たちに会いに行くとか, etc.
でも考えを巡らせる中で、ちょっと脱線しちゃって、そっちの方がむしろ大事かなと思ったので( ..)φメモメモ
自分は今満足しているのか
してないんだなぁ(笑)ひもじさを感じたことがなければ、日々命の危険に晒されている訳でもなく、世界にはもっと苦しい状況の中で生きている人たちがいる一方で、自分は一体何してんだろう?的な漠然とした悩みというか、生に必死になる機会がないことに不安みたいなことを感じてたんだよね。モットーとか信念とか、そんな大それたものではないけど、「苦労した数だけ人間的な魅力が増す」って思っている節があって。多分、これ自体は間違っていないと今でも思える。ただ、ここ数年の自分の行動思い返して、明らかなベクトルの違いというか、もはや狂気に近い(詳細は割愛)なぁ、と。
世界は確実に良くなっている
とかとか考えているうちに、こんな本を読んだのを思い出した。
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
- 作者: ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド,上杉周作,関美和
- 出版社/メーカー: 日経BP
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- メディア: 単行本
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その中で、世界の貧困レベルを4段階に分けたうち、最下位のレベル1(収入が1日1ドル、泥水を往復何時間もかけて汲みに行ったり、、、みたいな生活)に該当する人口の割合はどう推移してきたか、という話があった。結論から言うと、2017年の段階で1/7(約10憶人弱)だそうな。この数値、自分の中では予想以上に低いなぁって驚いた。本の内容丸パクリだけど、世界は徐々に良くなってるっぽいすね。
そんな環境の中で自分にできること
こっちを考える方が、自分的にも世の中的にも圧倒的に良いよなって、気付きました。この辺の話は割愛した話をしないと文脈がなさ過ぎてイミフなんだけど、そこまで晒す勇気はまだないっす(笑)。そのうち公開しようかな。僕が好きな漫画の「銀河英雄伝説」に登場するヤン・ウェンリーが言っていたように「〇十年後の未来がちょっとでも幸せになってればいいな」って感覚が少しだけ分かったような気がした。自分の場合は、もっとセグメントを絞っても良いかもな。
死について~(1日目)明日死ぬとしたら、今から何をするか~
昨日の投稿から続き、これから1週間、死に関するお題に対し、考えたことを徒然なるままにメモ( ..)φ
明日死ぬとしたら、今から何をするか
10分くらい考えたところで、なかなか現実味が沸かないなぁという感じに(笑)けど、そんな中で唯一出た具体的な行動が
- 両親と旅行に行く
ってことだった。
今まで知り合ってくれた人たちに感謝を伝えに行脚する、ってところから始まり、時間的な制約でそれは無理だなーと思ったり、「明日死ぬんで感謝を伝えに来ました!」とか言われた友人の気持ちを想像したり、「感謝する」って具体的にどういうことだろう?って考えたりする中で、上の答えに。
ちょっと脱線するけど、このお題は、タイミングで答えが変わってくるんでしょうね。
旅行、計画してみよ。笑